2006春 小浜・周山街道ツーリング 2006年5月31日(水) 晴れのち曇り バイク:ZZ−R1100C2(ダボジー) 走行距離:401q |
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行程 | |
(福井県)自宅→バイク屋→(R8)→鯖江市(給油)→越前市(旧武生市)→(R365)→南越前町(旧今庄町)→(K207)→山中峠(トンネル)→旧北陸線トンネル群→(R476・R8)→敦賀市→(R27)→小浜市→(K35)→若狭彦・若狭姫神社→鵜の瀬→若狭西街道(広域農道)→(R162:掘越街道)→おおい町(旧名田庄村)→道の駅名田庄(休憩)→掘越峠(トンネル)→(京都府)→美山町→(R162:周山街道)→京都市右京区(旧京北町)→カモノセキャビン(昼食)→(R162:周山街道)→栗尾峠→笠峠(トンネル)→高尾山→御経坂峠→三条通→御池通→グリル・アローン(夕食)→河原町通→(F30)→田ノ谷峠→(滋賀県)→(R161湖西道路)→志賀町(休憩)→(R161)→高島市(給油)→(K287)→マキノ高原温泉さらさ(入浴・仮眠)→(R161)→(福井県)→(R8)→自宅 |
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車検 | |
今月末で車検が切れるので、馴染みのショップに預けておいたダボジーが無事帰還。今回不具合はメーターランプの交換のみだったので、費用は約5万円。ネット仲間がユーザー車検をしていて、自分でやれば半額の2万6000円ぐらいで済むらしい。 今回は自分もチャレンジしてみようかなと思ったが、整備記録簿なんて付けたこともなければ、法定点検も受けたことがない。それに光軸調整はカウルやメーターパネルを外さないとできないので、今回もショップ任せとなった。 |
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県道207 | |
車検明けのツーリングとして、今日は小浜から周山街道に出かけよう。いつもならR8で敦賀へ向かうのだが、今日は気分を変えて、R365から県道207の山中峠(トンネル)ルートを選択。 この道は地元の人でもめったに通らないというか、知らない人の方が多い。それはこの道が、北陸トンネル開通前の旧北陸線の線路跡で、道幅が狭い場所もあるからだ。でもそれだからこそ、のんびりツーリングするには打ってつけのルートである。 |
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旧北陸線トンネル群@ | |
県道を進んでいくと、煉瓦で装飾された馬蹄形のトンネルが現れる。旧北陸線の山中トンネルだ。この区間には長短5本のトンネルがあるが、この山中トンネルが一番長く、1q以上ある。 ちなみにこの山中トンネルの上にある山中峠は最古の北陸道(万葉の道)で、かの紫式部も父藤原為時が越前国司赴任の際に同行して通ったとされる。 単線だったため道幅は狭く、バイクといえどもクルマとのすれ違いは不可能。 |
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また山中トンネルを含め4つのトンネルには信号が設置されていないので、出口に対向車がいないことを確かめてから進入する。 トンネル内の照明は、効果あるの?と疑いたくなるほど暗く、明るい場所から入ると暗視され、ほとんど真っ暗闇となる。 内部は天井から漏水が至るところからあり、降雨の翌日は、ほとんど雨というぐらい水が落ちてくる。路面も舗装が劣化している上に、水で濡れているので、スピードの出し過ぎには充分注意が必要だ。 |
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昔は大変だった | |
途中トンネルとトンネルの合間からは、右手に敦賀湾や敦賀半島の西方が岳(764m)の雄大な景色が楽しめる。 母の話によると、当時は蒸気機関車だったので、トンネルに入る度に木窓を閉めるのに大忙しだったらしい。窓を閉めないと機関車の煙のススで顔が真っ黒になるからだそうだ。 往時には麓の杉津(すいづ)へ海水浴に出かける人々で大賑わいだったそうだが、今はその面影も殆どない。 |
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旧北陸線トンネル群A | |
トンネル群を抜け、分岐点にさしかかる。真っ直ぐ行くと、杉津でR8に合流する。左側は市道で、R476の葉原方面に合流するみたいだ。この道は行ったことはないが、思い切って行ってみることにする。 北陸自動車道の上下線に挟まれた道で、進んでいくと程なくトンネルが現れる。どうやらここも旧北陸線だったみたいで、長短4本のトンネルがあった。 |
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R27 | |
葉原でR476に合流し、敦賀市内でR8からR27へ。 若狭路を走る場合、美浜町椿から通称梅街道と呼ばれる広域農道が便利。R27とほぼ併走していて、こちらの方が道幅も広く信号も少ないので、快走できるのだが、その反面ネズミ捕りや白バイが多いのが難点。特に今日のような天気がイイ日は間違いなく、手薬煉引いて待ち構えているに違いない。 R27の方が先頭にならない限り安全なので、そのままR27を西進し、小浜市へ。 気温はますます上昇しており、あまりの暑さに耐え切れず何処かで涼を取りたい。若狭町(旧上中町)の瓜割の滝は混雑してそうなので、小浜市の鵜の瀬に向かう。 途中、森林(もり)の水PR館に立寄るが、休館日で閉まっていた。 残念、ここで旬の水まんじゅうを食べようと思っていたのに・・・ |
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若狭彦神社(上社) | |
鵜の瀬に向かう前に、PR館の近くにある若狭彦神社(上社)へ。ここは奈良時代の霊亀元年(715年)に創建された若狭国一ノ宮で、平安時代の延喜式内社で、名神大社とされている。 祭神は海幸山幸の神話で有名な山幸彦こと彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)で、若狭彦大神と称え祀られている。彦火火出見尊を祀った神社は、他にも鹿児島神宮や越前市の大虫神社(虫除け)などがある。 |
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石造の一の鳥居をくぐると、二の鳥居に見立てた巨大な二本杉や根元から2本に分かれた夫婦杉などが生い茂り、猛暑の中、森厳霊気を感じる。 両脇に木像の安置された楼門を抜けると、神社の境内へ。左手にはどんな日照りの時にも枯れたことがないという伏水の幸(甘泉)がある。柄杓で飲んでみると、冷たくてかすかに甘い。 正面には随身門に囲まれた、三間社流れ造りの本殿がある。 |
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若狭彦神社の祭神、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫で、天孫降臨で有名な邇邇芸命(ににぎのみこと)と富士山本宮浅間神社の祭神木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)との間できた3人の子の末子で、幼名を火遠理命(ほおりのみこと)という。ちなみに長男は海幸彦こと火照神(ほでりのみこと)、次男は火須剪理命(ほすせりのみこと)。 古代には「火」が燃え盛る様子は、「稲穂」がすくすく成長する姿とされ、日子穂穂出見命とも記される。また「火遠理」とは炎が衰える様子のことで、稲穂が実り垂れる姿を象徴しているとも言われる。このため農林商工業、漁業、学問、厄除け、交通安全などのご利益があるとされる。また畳、敷物の守護神でもあり、インテリア装飾に携わる人々の参拝も多いそうだ。 若狭彦神社(上社):小浜市能前28-7 |
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若狭姫神社(若狭彦神社下社) | |
続いて向かったのが、若狭彦神社よりR27に戻ったところにある養老5年(721年)に創建された若狭姫神社。ここは若狭彦神社の下社とされ、併せて若狭彦神社とも称される。 祭神は彦火火出見尊(=山幸彦)の妻、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)で、若狭姫大神として祀られている。 若狭姫神社(下社):小浜市遠敷65-41 0770-56-1116 |
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ここで少し、保育園の時に習った海幸山幸のお話を。(多少違っている箇所もあるかと思いますが、そこはお許しを。) 狩猟や農耕が得意な山幸彦は或る日、兄海幸彦と1日互いの仕事を交替する。兄の釣り竿を持って漁に出かけるが、全く釣れず、挙げ句に大事な釣り針をなくしてしまう。 海幸彦の怒りは物凄く、山幸彦は己の剣を鋳潰して釣り針100本を造って渡すが、海幸彦は「あの釣り針でないと駄目だ」と許してくれない。 山幸彦が海辺で悲嘆にくれていると、1人の老翁が現れ、海亀に乗って龍宮に行くようすすめる。 龍宮では、海神(わたつみ)の娘豊玉姫命の美しさに惹かれ、いつしかねんごろとなり、釣り針のことを忘れて楽しい日々を過ごす。 数年が過ぎようやく釣り針のことを思い出し、姫に話すと、鯛の口の中から兄の釣り針を見つけ出す。 帰り際、姫は山幸彦に様々な呪文と塩満玉(しおみつだま)、塩乾玉(しおひるだま)を授ける。 戻った山幸彦は、海幸彦に釣り針を返すが、呪文を利用して繁栄する弟を妬んだ兄の専横に遭う。山幸彦は塩満玉、塩乾玉を用いて兄を懲らしめ、服従させましたとさ・・・。 |
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若狭姫神社は、とりわけ安産や育児にご利益があるとされている。 彦火火出見尊(=山幸彦)の子を身篭った豊玉姫命は、出産が近づき尊の後を追って地上へ。お産の様子を見られたくない豊玉姫命は、尊に「決して覗いてはなりません」と言い渡し産屋に入るが、見るなと言われると見たくなるのが世の常。産屋を覗いてみると、そこにいたのは、なんと八尋(1尋=180p)の大鰐(おおわに)。 尊に本当の姿を見られた豊玉姫命は、慌てて御子神を産み、妹玉依姫命(たまよりひめのみこと)に預けて、龍宮へ帰っていった。 その様子が、産屋の草(=かや。萱)がまだ葺き上がる前だったので、生まれた御子神は、鵜葺草葺不合神(うがやふきあえずのみこと)と呼ばれ、後に玉依姫命と結婚し、神武天皇の父となる。 こうしてみると、浦島太郎の龍宮伝説や鶴の恩返しの源になるような話でちょっと眉唾だが、私が思うに、龍宮とは海を隔てた異国(=朝鮮半島)のことではないだろうか? ここ若狭地方には韓国語が由来とされる地名が多い。例えば、 若狭(わかさ)→(韓)ワカソ=行ったり来たり 根来(ねごり)→(韓)ネ・コーリ=あなたの故郷 奈良(なら)→(韓)ナラ=国 早くから大陸文化が入っていたこの地では、渡来人も多く住んでいて、原住民との混血を繰り返し、このような地名・伝説が残ったのではないだろうか? 神武天皇って、大鰐の子孫なの?(笑) |
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鵜の瀬 | |
若狭姫神社を後にし、鵜の瀬へ向かう。鵜の瀬は瓜割の滝(若狭町)、御清水(大野市)とともに日本の名水100選にも選ばれている。 また鵜の瀬は、毎年3月2日にお水送りと呼ばれる儀式が行われることでも有名だ。 これは奈良に春を告げる東大寺二月堂のお水取りに大きな縁がある。お水取りは若狭井と呼ばれる井戸から本尊にお供えする閼伽水(あかみず)を汲み上げる儀式だが、その若狭井の水源がここ鵜の瀬だとされている。 |
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言い伝えでは、二月堂を開いたインド僧実忠が、天平勝宝四(753)年に修二会(しゅにえ)を開き、全国の神々を招いたが、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん=彦姫神)だけが川釣りに夢中で、遅刻してしまう。 明神はそのお詫びとして、ご本尊にお供えする閼伽水を若狭から送ると約束し、大岩の前で祈願するとたちまち岩が真っ二つに割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出し、穴から泉が湧き出した。これに因んでこの井戸は、若狭井と呼ばれるようになったそうだ。 |
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二月堂のお水取りは、毎年3月12日に行われるが、水が鵜の瀬から若狭井まで届くのに10日かかるとされることから、それに先立つ3月2日にお水送りの儀式が行われる。 私はまだお水送りを実際に見たことはないが、隣接する鵜の瀬公園内にある資料館に、お水送りの様子を示す模型やパネルが展示されており、無料で見学できる。 儀式の内容は、遠敷明神を祀った根来八幡の神人と神宮寺の僧職たちが、護摩を焚き松明(たいまつ)を持って、神宮寺から鵜の瀬までの約1.8qを行進。鵜の瀬で住職が送水文を読み上げ、神宮寺の閼伽井から汲んだ御香水を遠敷川へ注いで若狭井に送る。 神職たちの格好は、全身白装束に尖った頭巾と、さながらKKKやフリーメーソンなどの秘密結社の構成員を思わせる。(笑) |
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さすがに川水は飲むことは禁止されており、飲用の場合、隣接の公園内にある給水所の井戸水となる。 その場で飲むのと500mlのペットボトルぐらいに詰めるは無料だが、それ以上持ち帰る場合は自販機でシール(300円)を購入する必要がある。 持参したマグカップで飲んでみるが、ぬるくてお世辞にも美味しいとは言えなかった。 その2に続く・・・ |