飛鳥路日帰りツーリング ツーリングクラブ INDEXへ戻る 期間:2005年10月12日(水) バイク:ZZ−R1100C2(ダボジー) 走行距離:562q |
行程 | |||
(福井県)自宅→(R8)→越前市→(R365)→(滋賀県)→木ノ本町→(R365)→(岐阜県)→関ヶ原町→(R365)→上石津町(休憩)→(三重県)→(R306)→いなべ市→菰野町→(R306)→鈴鹿市(休憩)→亀山市→(R1)→亀山IC→(R25:名阪国道)→(奈良県)→針IC→道の駅”針T・R・S”(休憩)→(R369)→三陵墓古墳群史跡公園→榛原町(給油)→(R165)→桜井市→(県15)→明日香村→石舞台古墳→めんどや(昼食)→酒船石→飛鳥寺→伝飛鳥板蓋宮跡→亀石→鬼の俎・鬼の雪隠→猿石(吉備姫王墓)→欽明天王陵→国営飛鳥歴史公園館→高松塚古墳→岩屋山古墳→(県15)→橿原市→(R169)→天理市→(R25:旧道)→天理ダム→福住IC→(R25:名阪国道)→針IC→(R369)→柳生(奈良市)→(県4)→(京都府)→笠置町(休憩)→(R163)→(府5)→和束町→(府62)→宇治田原町→(府3)→(滋賀県)→(R422)→大津市→美富士食堂(夕食)→(R1)→栗東市(給油)→(R8)→彦根市→(R8)→木之本町(休憩)→北陸自動車道(木之本IC)→(福井県)→北鯖江PA(休憩)→北陸自動車道(福井IC)→自宅 |
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R365・R306 | |||
今日の休みは全国的に天気が良いとの予報。さぁドコへ行こうか?一昨日は雨のせいで鈴鹿ツインサーキット行きが変更になってしまったが、今日は中京・関西も天気が良いみたいだ。 あれこれ候補地を検討したが、久しぶりに歴史に触れ合うツーをしたく、前から一度行ってみたかった奈良県の飛鳥へ行くことに決定! |
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R365で栃の木峠越えで滋賀県に入る。通勤時刻に重なったこともあり、交通量が多くいまいちスピードが上がらない。 左手には近江のシンボル、伊吹山が快晴の空にそびえている。あと1ヶ月もすれば紅葉し、2ヵ月後に雪化粧するのだろう。 |
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不思議だったのが、この巨大な扇風機のようなもの。畑のあちこちに建っていたが、いったい何に使うのだろう? |
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三重県に入りR306へ。さすがに300番台国道のせいか、所々狭小の部分があり、菰野町付近ではこれが国道?と首を傾げたくなるほど狭い箇所もあった。 鈴鹿市付近では、道路脇に多くの茶畑を見かけた。 |
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名阪国道(R25) | |||
亀山市からR25・名阪国道に入る。一般国道だが、片側2車線の自動車専用道のためか、誰も制限時速の60qで走っていない。それならいっそ改正して80q制限ぐらいにした方が良いのではないだろうか?なまじっか60q制限にしていると、規制通り走るごく一部の律儀?なドライバーが、かえって交通円滑を妨げ、事故の危険性が増すと思われる。 そう思いながら走っていると、反対車線側で覆面パトカーがスピード違反取締りをしている光景に3箇所も出くわした。アブナイ、アブナイ。少しスロットルを緩めよう。 |
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針ICで降りて、出口横にある道の駅”針T・R・S”に立ち寄る。巨大な道の駅で、レストランやファーストフード店などが充実。 しかしその巨大さの割にバイク置場が少なく、雨除けもない。こういう点を改善して欲しい。 |
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三陵墓古墳群史跡公園 | |||
道の駅からR369を南下し、三陵墓古墳群史跡公園に向かう。旧都祁(つげ)村の白石地区にあるのだが、国道沿いには特に看板もなく、最初通り過ぎてしまう。白石交差点を県道781に入るのだが、道が狭くチョッと迷いやすい。 ここには西古墳・東古墳・南古墳の3つがあり、併せて奈良県の史跡に指定されている。売店や記念館といったものはなく、駐車場があるのみ。見学無料で、もっと宣伝すればいいのになぁ。 |
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西古墳の前にある巨大な古代人の石像。花崗岩で造られており、高さ4m近くはあるだろうか、非常に大きいが顔が異常にでかく、4頭身。なんか愛らしさを覚えた。 |
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丘の上に作られた西古墳は、直径40m、高さ5mの円墳で、5世紀中期前半に造られたとされる。 |
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西古墳の隣にあるのが三陵墓東古墳。こちらは5世紀中期後半に造られたとされ、大和高原で最大の前方後円墳である。 5世紀の頃、この付近にはツゲ国というクニがあったとされ、古事記や日本書紀にある都祁直(つげのあたい)や闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)といった有力者が埋葬されたとされる。 なおツゲ国はその後、都祁、都家、都介、闘鶏、竹渓などと表記され現代まで続いていたが、今年(2005年)4月に奈良市と合併し、都祁村の名は行政上消滅してしまった。こうしてまた一つ歴史上の地名が消えていくのは、なんとも寂しい気がする。 |
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石舞台古墳 | |||
13時明日香村にある国営飛鳥歴史公園に到着。 ここは甘樫丘地区・石舞台地区・祝戸地区・高松塚周辺地区の4つのエリアからなり、その周りにも数多くの古墳や遺跡などが点在している。 |
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まずは今回一番訪れたかった石舞台古墳(250円)へ。教科書や図鑑でよくみかける巨石を組み上げたこの墳墓は、6世紀末期から7世紀初頭に造られ、蘇我馬子の墓であるとされる。 なんでも建造時にはこの玄室の上に封土(もりつち)がされており、上円後方墳だったとされる。玄室上部を覆う石の一つは、重さ77トンもあるそうだ。古代にこんな大きな墓を造らせた蘇我氏の隆盛ぶりが充分伝わってくる。 玄室内部は、長さ7.7m、幅3.4m、高さ4.8mと結構広く、上部の隙間からは陽射しが差し込んでいた。 |
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古墳脇には復元された石棺が設置されていた。昭和8年の発掘調査では石棺は発見されなかったが、玄室内には凝灰岩の破片が散乱しており、それらを基に、復元されたそうだ。 |
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食べたかったなぁー | |||
朝飯を食べておらず、無性にお腹が空いてきた。 駐車場脇にあった食堂の看板を見ると、古代米御膳なるものがある。なんでも明日香産の古代黒米か緑米のご飯に季節の惣菜、呉豆腐、汁物がついた料理で、これで840円とお値打ちのシロモノだ。呉豆腐とは、吉野葛と豆乳で作った豆腐らしい。 これは食べねば!と入ってみるが、 『ゴメンねー。今日はもう終わりなの。』との返事で食べ損なう。残念! それじゃということで、向かいの売店で古代米ソフト(300円)なるもの食べようとするが、こちらも 『スイマセン!機械が故障していて無理なの。』 食べようと思った物が、ことごとく駄目とは運が悪い日だ。今度来た時は是非食べたい! |
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結果オーライ! | |||
仕方ないので次の見学地の酒船石に向かおうとダボジーを走らせていると、道路沿いに1軒の食堂を発見!めんどやという名前のお店で、外には「飛鳥路旅の味セット」というお品書きがあった。 まぁここでもいいかということで入ってみる。 |
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注文したのはもちろん飛鳥路旅の味セット。内容は具だくさんにゅうめん、柿の葉ずし、小鉢、自家製わらびもちにフルーツと盛り沢山。これで1,200円とはお値打ちである。 この他にも天然よもぎをそうめんに練り込んだよもぎにゅうめんセット(1,500円)や大和地鶏と明日香の無農薬野菜を牛乳スープでいただくあすか鍋(1人前3,500円・2人前〜)などもあった。 お店の壁にあった新聞の切り抜きによると、このめんどや、創業100年以上の老舗らしい。これは期待できそうだ! |
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料理が運ばれてきて、女性店員が、 『めん大盛にしておきましたから』とのこと。 私の身体を見て気を使ってくれたみたいだ。ラッキーと思いながら、少し複雑な気持ちだ。(笑) |
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酒船石・亀形石造物 | |||
お腹が膨れた後、酒船石へ向かう。駐車場から階段を上るが、1分ほどで到着。 長さ5.5m、幅2.3m、高さ約1mの花崗岩でできた巨石には、上部に穴や溝が彫られている。地元の伝説では酒をしぼる槽とされ、長者の酒船と呼ばれていたことから、この名が付けられたという。 また酒ではなく、油や薬を造るための道具という説やここに水を引く土管や石樋が見つかったことから庭園の跡という説もあるが、今のところどれも決め手にはなっていない。 江戸時代の国学者本居宣長もここへ訪れていて、その紀行文で触れているらしい。 ちなみに私の大好きな漫画「ゼロ」(原作・愛英史、漫画・里見桂。集英社・スーパージャンプ連載中)では、コミック33巻第217話の明日香で、この酒船石を題材にしており、水銀精製器という説をとり、狂心渠(たぶれごころのみぞ)と並んで、斉明天皇の失政として表現されています。興味のある方は是非お読み下さい。 丘の反対側にある亀形石造物にも行ってみるが、こちらは入口で「協力金300円」を求められた。値段の割に内容がショボそうだったので、こちらパスした。協力金はわかるけど、世界遺産の姫路城が600円で見れるのに、300円は高すぎじゃない? |
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飛鳥寺・伝飛鳥板蓋宮跡 | |||
次に向かったのが100mほど北にある飛鳥寺。 起源は588年(崇峻天皇元年)に蘇我馬子が建立した日本最古の本格的寺院の法興寺とされる。 ご本尊堂の飛鳥大仏は、605年(推古天皇13年)に法隆寺の釈迦三尊像を作ったことでも有名な鞍作止利仏師によって作られた金銅丈六仏で、これまた日本最古の仏像とされる。 大仏は拝観料(250円)が必要だったので、今回はパスした。 |
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こちらは飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)があったとされる場所。回りは一面の水田の中、宮殿の礎石や石畳の跡が残されている。 |
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亀石・鬼の俎・鬼の雪隠 | |||
高松塚へ向かう途中、亀石に立ち寄る。付近の道は舗装されているが、幅1.5mぐらいととても細いのでバイクでも注意が必要。 |
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花崗岩でできた鬼の雪隠は、本来古墳の石室の蓋石らしく、道路を挟んで丘の上にある底石の鬼の俎(まないた)から滑って横転してきたものだそうだ。 |
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かつてこの周辺は霧が峰と呼ばれ鬼が住んでいたそうで、通行人を霧で惑わせて捕らえ、俎の上で料理し、雪隠で用をたしたとされる伝説がある。後世の人々はこれらの石造建造物に何がしかの畏怖の念を感じ、このような伝説を作って敬ってきたのだろう。 |
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猿石(吉備姫王墓)・欽明天皇陵 | |||
次に向かったのが猿石。吉備姫王(きびつひめみこ)墓所内にある4体の石像のことで、墓所は立入禁止のため、門越しの見学となる。 この石像は江戸時代に、隣接する欽明天皇陵付近から掘り出されて、ここに安置されたそうだ。 |
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桧隈の猿石と称されているが、私には日本人より細長い大きな顔や彫の深い顔だちから、大陸からの渡来人のように見えた。 欽明天皇陵は全長約140m、後円部径72m、前方部107mと明日香村最大の前方後円墳である。 |
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高松塚古墳・岩屋山古墳 | |||
国営飛鳥歴史公園館(無料)は、特にこれといった展示物もなく、ソッコーで出る。 高松塚古墳は壁画で有名だが、当然内部をみることはできず、ここもそそくさと立ち去る。 |
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16時を回り日もだいぶ傾いてきたので、最後に岩屋山古墳に立ち寄る。 石室内は何もなかったが、被葬者の霊でもいるのか入った瞬間少しゾクゾクという感じがした。気持ち悪いのでそそくさと立ち去る。 |
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怖いよ〜 | |||
キトラ古墳や高松塚壁画館などまだまだ見たいところもあったが、帰路につくことにする。 帰りは行きとは違う道を通ろうと、R169からR25を経由してR369へ。やはり300番台国道のせいか、所々狭い箇所がある。 柳生但馬守や柳生十兵衛など柳生一族の里として有名な柳生にさしかかる。ここもじっくり見学したかったが、閉館時間を過ぎていたので残念ながらまたの機会に。 柳生から京都府境を通る県道4は、両側を鬱蒼とした杉木立が生い茂り、おそらく昼間でも薄暗そうな道で、いかにも柳生の里への道という感じがする。日も暮れて細い林間の道を走っていると、本当に怖い。 特に京都府内の府道62は、真っ暗な山越えの道で、本当にこの道で良いのか不安になってくる。時折すれ違うクルマで少しホッとするが、やはり不気味だった。 |
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大食漢の聖地 | |||
宇治市の天ケ瀬ダム近くを通り、淀川の源流、瀬田川沿いに北上する。 時刻は19時近く。大津から福井まで約150kmだから、シタミチだとあと3時間ぐらいだろうか。気温18度ぐらいで、暑くもなく寒くもない。 そのとき頭の中に浮かんだことがあった。大津といえば、ネット仲間のocchanさんのツーレポで知った美富士食堂がある。医者から節制するよう言われていて、今まで二の足を踏んでいたのだが、せっかく近くまで来ていることだし、寄ろうかどうしようか迷っていた。 ココロの中で天使と悪魔が格闘していたが、どうやら悪魔が勝ったらしく、いつの間にか美富士食堂の前に佇んでいた。 |
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京阪石山坂本線の膳所本町(ぜぜほんまち)駅前にあるこの食堂は、超〜ボリュームのあるメニューが有名で、大食漢の聖地とも言われる場所だ。 店内はお世辞にもキレイとはいえないが、古びた壁にはTVバラエティーでお馴染みのデブタレントたちの写真や色紙が所狭しに飾ってある。 どれもボリュームのあるものばかりだそうで、焼きそばやお好み焼、はたまた丼物や定食と色々迷ったが、オーソドックスにカツ丼(700円)に決定! |
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15分ほどで無事完食! 正直言ってもっとスゴイのかと思っていたが、まだ少し食べ足りない感じだ。麺類でも追加しようとも考えたが、閉店時刻間近だったこともあり自制する。(普通の人なら当たり前) また機会があれば訪れてみたい。お店を出る際、「えらい遠いところからきてくれはっておおきに。今度また来られたらなんかサービスしますわ」とのこと。これは絶対来るぞー! お腹を満たし、R1・R8と北上。木之本から高速を利用し、自宅に到着したのは23時30分だった。 |
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この日の走行距離:562q |
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