2005.秋 信州ツーリング(2005.10.18〜10.19)

 1日目:悪夢のメルヘン街道
ページ TOPへ戻る
ツーリングクラブ INDEXへ戻る

 2005年10月18日(火) 晴れ時々曇り一時雨
 ひさびさの連休だ!

 久しぶりに連休がとれたので、1泊ツーリングに出かけよう!天気は関東地方を除けば全体的にまずまずみたいなので、行先は何処にしようか?さんざん悩んだが、帰宅後疲れていたせいもあり、いつの間にか眠っていた。3時に目が覚め、再び候補地をどうしようかと検討。結局、紅葉を見に信州へ行くことに決定したが、そのせいか出発は7時30分と少し遅くなってしまった。

 もちろんキャンプ泊する予定だが、時期的に閉まっているところもあるので、2・3箇所候補地をあげておき、進み具合を見て決定することにした。毎度ながら行き当たりばったりの旅になりそうだ。

 この日は放射冷却現象のせいか大野市は一面の霧の海。おそらく荒島岳などからは雲海が見られるだろう。R158から和泉村を抜け、先週も通った無料になった油坂峠道路を使い、岐阜県へ。
 
 
 やまびこロード・R158

 長野へ向かうためには、R158経由で高山へ行き、そこから安房峠経由で松本へ向かうルートと、R361から美女峠・長峰峠経由で開田高原へ向かうルートがあるが、今回は後者を選択。HP仲間のkeiichi_wさんオススメの開田高原へ寄ってみたかったからだ。
 地図をみて県道82を使うと、明宝村へ抜けられるので、再びせせらぎ街道で高山へ向かおうとするが、途中で崩落復旧工事のため通行止の看板。Uターンを余儀なくされ、時間をロスしてしまった。
県道82号線は崩落復旧工事で通行止だった。残念。
県道316・321。通称やまびこロード。
 仕方なくやまびこロードでひるがの高原まで抜け、再度R158へ合流し高山へ向かう。
 先週MC鉄輪会の面々と立ち寄った道の駅”ななもり清見”は、平日のせいか閑散としていた。

 高山市内に入ると対向車線に白バイを発見!これは気をつけねば・・・
 それが功を奏したのか、スピードを抑えて進んでいくと、横道に別の白バイがいて難を逃れることができた。この先もスピードは控えめに進もう。

 
 
 美女は何処に?
美女峠
 高山中心部は少し渋滞していたが、それでも1週間前の高山祭から比べると静かなもんだろう。

 給油後R361へ入り、美女峠を目指す。ご多分に漏れず300番台国道のせいか、所々狭い道が続く。
美女峠。右がR361、左が旧江戸街道。 旧江戸街道入口。 かつては高山〜江戸間の最短ルートとして往来のあった旧江戸街道。 大蛇が美女に化けたという伝説が伝わる美女ケ池。

 美女峠に到着。さっそく美女を探すが、辺りに美女のいる気配は全くなし。
 峠の近くにある美女高原には、八百比丘尼伝説にゆかりの美女ケ池があり、こちらにかつての美女が2名ほどいただけだった。

 美女高原の看板の脇に、小さな木の看板があり、走り乃神社と書いてある。距離も200mと近くみたいなので寄ってみることにした。

美女高原の看板の脇に、小さな看板を発見。
 
 
 走り乃神社

 看板の矢印に従い走り乃神社へ到着。一見すると神社というよりただの駐車場のように見える。
 しかしよ〜く見ると、丸太で作られた鳥居やステッカーがいっぱい貼られたシルバーのコンテナなど置いてある。
 コンテナ横の看板によると、アメリカの公道最高速チャレンジに参加し、残念ながらクラッシュしたストリームZ号がこの中に眠っているそうだ。

走り乃神社。一見ただの駐車場にしか見えない。
アメリカで行われた公道最高速挑戦に参加し、残念ながらクラッシュしたストリームZへの想いが書かれていた。 ストリームZが収められている走神殿。
走り乃神社の参拝方法が書かれている看板。
 またコンテナの横には神社の参拝方法を書いた看板もあり、その指示通り、ダボジーをしめ縄と御幣、榊で囲まれた祭殿に駐車し、丘の上の記念碑に向かう。
 ご利益のほどは解らないが、この旅の安全を祈願する。

走り乃神社祭殿
 
 
 道の駅ひだ朝日村
道の駅”ひだ朝日村”。
 美女高原を後にし、R361を進む。途中道の駅”ひだ朝日村”に休憩に立ち寄る。
 ここはよもぎが名産らしく、よもぎうどんが評判だそうだ。
敷地内にある物見櫓。残念ながら上ることはできない。  敷地内にあった物見櫓。残念ながら登ることはできなかった。
 
 
 R361

 長野県境までのR361は、山間部の峡谷を走るワインディング路で、一部狭い箇所もあるが交通量も少なく快走できる。

 紅葉は一部始まっていたが、本格的な見頃はまだもうチョッと先だろう。風がややあり、道路にある落ち葉が風にあおられてか、クルクルとダンスを踊っていて、ダボジーを迎えてくれた。

紅葉はもう少し先の秋神ダム。
高根第一ダム。 紅葉のレリーフの秋神トンネル。 御嶽山の迫力あるレリーフに圧倒される権現トンネル。

 トンネルの入口には、奥飛騨・木曽を代表する紅葉御岳山などが鮮やかな色のレリーフで飾られていた。こういうアート感覚あふれるトンネルがもっと増えて欲しい!

 
 
 開田高原
岐阜・長野県境の長峰峠。  長峰峠を越え長野県に入る。峠には木曽馬が1頭いて、写真を撮ろうしても下を向いて飼葉を無心に食べていた。
 ダボジーを進めて行くと、右手に大きな山肌が見えてくる。木曽のシンボル、御岳山だ!雲空だったが、雄大なその全容を望むことができた。
峠には木曽馬が1頭いた。 ここでは、馬・牛が優先だ。
峠より木曽のシンボル、御岳山を望む。
 
 
 開田そば

 13時を回りお腹のカラータイマーもピークを迎える。開田のそばをということで、国道沿いのそば処まつばへピットイン。
 名物とうじそばを食べたかったが、この店には置いておらず、ざるそば大盛を注文。他に木曽地方名産のすんきをいれたすんきそばやとろろそばなどもあった。
 新そばは香ばしく、あっと言う間にツルツルと喉を通って胃袋に収まった。

そば処まつば
ざるそば大盛(1,200円)を注文。 香ばしい新そばを堪能。

 その後、他の店でとうじそばの幟を見つけ寄ろうかなと思ったが、節制の身、グッと我慢した。
 
 
 地蔵峠
R361旧道の地蔵峠(1,335m)。その名の通りお地蔵様が設置されている。
 R361新地蔵トンネルの新道を通るのが普通だが、敢えて峠越えの旧道へ。

 地蔵峠(1,335m)にはその名の通り、1体のお地蔵様が建立されている。険しい山道の道中安全を祈願して、約270年前に建立されたそうだ。
 しかし今から40年前ぐらいに心無い者によって地蔵尊が持ち去らてしまい、現在の地蔵尊は有志によって再建されたとのこと。
 旅の安全を祈願して、合掌。

 地蔵峠を下る途中、大きな滝を発見!
 唐沢の滝といい、寝覚の床王滝の氷ケ瀬と並んで、木曽三勝と呼ばれる。

 かつては落差75間(135m)、4段の滝だったそうで、滝の右横の急斜面を旧飛騨街道が通っていた。その後道路の改修により、滝の落下地点が低くなり、現在は約100mの落差となっている。

唐沢の滝
 
 
 奈良井宿T
中山道の宿場町、奈良井宿。

 14時50分、奈良井宿に到着。ここは中山道67宿の一つで、古くから中山道最大の難所、鳥居峠に備える宿場町として、奈良井千軒と呼ばれ賑わいをみせたそうだ。
 街並は約1qに渡り、文化庁の重要歴史的伝統的建造物群保存地区に指定されており、国道からわずか1本入っただけなのに、江戸時代にタイムスリップした感じがする。
 中2階建が多く、低い2階の全面を張り出し縁とした出梁造の家が100軒近く建ち並ぶ。
奈良井宿街並1 奈良井宿街並2
奈良井宿街並3 奈良井宿街並4
鍵の手の水場にて。 水場。 酒屋の軒先にあった見事な杉玉。
売店で売っていたおやき。他にあんこ入り、野菜ミックス入りがあった。 野沢菜入り(170円)を1個購入。
たから屋。普通の住宅だった。 ゑちごやという旅館。 かどや。まさに角にある家だった。 若松屋。これも普通の住宅だった。

 平日の午後ということもあって、観光客は少なかった。
 気になったのが、どの家も表札が2つ掲げてあるということ。1つは通常の表札で、もう一つは○○屋、△△屋といった屋号の表札。
 旅館や酒屋といった商売をしている建物は、屋号が掲げられていても何ら珍しくもないが、普通の住宅でも、たから屋とかかどやとかといった屋号と世帯主の表札が2つ掲げられていた。おそらく昔は何らかの商売をしていたのだろう。
 ここの住民の方は屋号で呼ぶのだろうか?それとも苗字で呼ぶのだろうか?いずれにしろ2つとも覚えるのは頭がこんがらがって、私には無理だ!
 
 
 奈良井宿U
奈良井川にかかる木曽の大橋。
 宿場町とR19の間に流れる奈良井川には、木曽の大橋があり、樹齢約300年の木曽ヒノキで造られた太鼓橋で、まさに大橋の名に相応しい。
 また道の駅”奈良井木曽の大橋”にも指定されているが、駐車場は小さく、売店や食堂の施設もない。最近何でも道の駅に指定しているが、これはチョッと疑問である。

R19側は道の駅”奈良井木曽の大橋 誰もいなかったので、横になってみました。
 
 
 ローメン食べたかった・・・

 時刻は15時30分。奈良井宿からR361権兵衛峠(1,523m)を越えて伊那に向かい、萬里ローメンを食べようと思ったが、R361は路肩崩落のため全面通行止になっていた。伊那に向かうには、R19で塩尻まで行き、R153で南下と遠回りになる。
 また最近は日が暮れるのが早いため、伊那へ寄ると、今日宿泊しようと思っていた八ケ岳山麓の松原湖に着くのは日が暮れた頃になる。
 残念ながらローメンは次回ということで、塩尻・諏訪経由で八ケ岳を目指す。
権兵衛峠を目指そうとするが、R361は路肩崩落により通行止。
 
 
 遭難寸前

 諏訪から今夜テントを張ろうとしていた松原湖高原オートキャンプ場のある小海町までは、R20で茅野市まで行き、R299、通称メルヘン街道麦草峠を通るルートとそのままR20で山梨県小淵沢まで行き、八ケ岳高原ラインで清里経由で向かうルートがあるが、前者の方が距離的に近く、後者は有料道路区間もあるので、メルヘン街道経由を選択した。これが不幸の始まりだったのだが・・・

 茅野市にさしかかった17時頃には、日も暮れかけていた。メルヘン街道の登り始めの辺りにはペンションや別荘などがあり、そこそこ対向車があったが、標高が上がるにつれ対向するクルマもなくなり、外灯もなくなる。日もすっかり暮れてしまい、暗闇の中ダボジーのヘッドライトだけが頼りだ。
 次第にがでてきて、視界がだんだん悪くなる。気温も日没と標高のせいか急激に低下し、Tシャツにジャケットでは寒さが堪えてきた。標高が更に上がるにつれ霧はより濃くなり、霧雨状態になる。カッパを着ようかなと思ったが、そのまま進んでいく。空気が薄くなっているせいか、ダボジーのパワーもあまり上がらない。
 (戻った方がいいかな?)と思ったが、ここまで来たのだからと進んでいくと、霧雨がに変わり、霧もますます濃くなり、ハイビームにするとハレーションで前は真っ白になってしまう。仕方なくロービームで進むが、2〜3m先は全く見えず、速度も時速20qほどに落とさざるを得なかった。
 そうしていると、暗闇の先に二つの光る玉。もしかして?と思い進んでいくと、やはり鹿だった。鹿は道路に立ち止まり、こちらを向いている。なかなか退こうとせず、刺激してこちらに来ないようじっとにらみ合いが続く。根負けしたのか?バカがこんな暗闇の中やってきたと思ったのか、やっと草むらに退いてくれた。この先もう動物はカンベンしてくれ〜。

 雨は激しさを増し、もはや霧というより、白い塊が前方から進んでくるのがはっきり判る。この時ようやく自分が雨雲の中にいることを理解した。
 なんでこんなところへ来てしまったのだろう?遠回りでも清里経由で行った方が、時間的には変わらず安全だったろう。正直、マジで遭難するかもしれない。

 ようやく標高2127m、日本で二番目の国道最高点麦草峠に到着。暗闇に看板だけが、ダボジーのヘッドライトに照らし出されていた。記念撮影する余裕など全くなく、一刻も早くこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。

 雨のせいか、下りは上り以上に神経をすり減らしながらの走行が続く。誰か助けてー。

 必死の思いで松原湖へ向かう県道40号との分岐に着くが、霧がまだあり不安だったので、遠回りになるが八千穂村からR141で向かうことにする。

 R141との合流付近に来て、ようやく霧が晴れてきて雨も止んできた。気温もすごく暖かく感じる。でも道路脇の気温計では、気温10℃を表示。10℃が暖かいとは、標高差1,000m以上の峠付近は、ほとんど氷点下に近い気温だったのだろう。
 
 
 松原湖オートキャンプ場
管理棟の軒先にテントを張る。
 20時30分、真っ暗闇の中の松原湖高原オートキャンプ場へ到着。
 季節外れのキャンプ場で、当然のことながら管理人はおろか私のほかは誰もいなかった。
 テントサイトは林間にあり、真っ暗闇で怖かったので、管理棟の一角の屋根のあるコンクリート部分にテントを張ることにした。


 寒さで冷え切った身体を温めるため、晩ご飯は豚キムチ鍋で暖を取る。と言っても具は豚肉、薄揚げ、えのき茸だけで、キムチ鍋の素を入れたものだ。
 普段は晩酌はしない私だが、身体を温めるため、途中コンビニで買ったビールと麦焼酎をあおる。

 疲労と酔いのせいもあり、ソッコーで床につく。

晩飯は豚キムチ鍋。焼酎と一緒に暖を取る。
この日の走行距離:414q

  2日目 へ

Counter