2006春 奈良・吉野山ツーリング
 2006年4月19日(水) 曇り時々晴れ
 2日目:いにしえの都・奈良 その2
 
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 ワンちゃんたちと
 内裏跡の横には、無料で見学できる遺構展示館(月曜休館)があり寄ってみる。開館は9時からと少し時間があったので、休憩所でメールしながら待っていると、後ろからドン軽い衝撃を受ける。
 (な、なんだ?)
 すると大きな白い犬が擦り寄っていた。

 散歩している飼主の方に伺うと、カナダ原産のニューファウンドランドという犬だそうだ。このワンちゃん、好奇心が旺盛で飼主が進んでいっても道草ばかりしていた。
大きなワンちゃんたちとしばし触れ合う。
 
 
 平城宮跡U 遺構展示館その1
第一次大極殿復原模型。  遺構展示館のある場所には、東西65m、南北125mで築地塀で囲まれた役所があったとされる。
 まず入って目に付くのが、第一次大極殿内裏一郭建物の復原模型。
 大極殿は、瓦葺入母屋屋根で、幅44m、奥行19.5m、高さ21mだったと推定されている。朱塗りの柱や梁と白壁のコントラストが鮮やかで、現在復原中の大極殿もこんな風になるのだろう。
 その他発掘調査で発見された井戸枠、平城宮の解説パネルなどが展示されている。

内裏一郭建物復原模型。 内裏の一画にあった井戸に使われていた井戸枠。直径1.7m、高さ2.1mあり、杉でできている。大極殿築地回廊の南にあった閤門に使われていた柱。
建物の柱を埋めた跡が保存されている。
 進んでいくと大きな遺構跡が現れる。
 奈良時代には、大きく分けて礎石建物掘立式建物の2つがあったとされ、大極殿や朱雀門といった重要な建物には礎石が用いられ、その他の建物は地面に穴を掘り、柱を埋める掘立式が一般的だったとされる。このため掘立式の建物には木の板檜皮など軽い材料で屋根が葺かれていたそうだ。

 ここには掘立式の柱穴跡が保存されていて、中には柱穴が重なりあったものも見られる。これは何回か建て替えられた証拠であり、重なり具合から建物の変遷も判るらしい。

 また壁には、発掘調査の際の地層の様子が保存されている。なんでも特殊な樹脂を使って地層を薄く剥ぎ取って固めてあるそうだ。

重なり合った柱穴もある。
発掘時の地層が剥離・展示されている。
 
 
 平城宮跡U 遺構展示館その2
 展示館の別棟にも出土品の展示や遺構の展示がされていた。
 また外にはせん積基壇が復原されている。

別棟でも遺構が保存・展示されている。
せん(=レンガ)積基壇。 復原されたせん積基壇と柱。
発掘された井戸枠。同じく井戸枠。
 
 
 平城宮跡U 兵部省跡
踏切脇にある兵部省跡。奈良時代の防衛庁である。  次に向かったのは、復原された朱雀門。平城宮の正門であり、宮の南端中央にある。
 みやと通りを南下し進んでいくと前方に踏切がある。これは平城宮を東西に横切る近鉄奈良線で、なんでまた特別史跡の中を電車が走っているの?と思ったが、史跡指定前に鉄道が敷かれたからだそうだ。
 線路脇には、今でいうと防衛庁にあたる兵部省跡や人事院にあたる式部省跡があった。

 朱雀門の脇にあるならシルクロード博記念館横にダボジーを停める。寄ってみようと思ったが、残念ながら休館日だった。

ならシルクロード博記念館(水曜休館)。
 
 
 平城宮跡U 朱雀門その1
朱雀門付近はすっかり葉桜。  朱雀門は、中国の伝説上の鳥、朱雀に因み、を守護する。(ちなみに北は玄武、東は青龍、西は白虎。)東西約25m、南北約10mで、基壇の上に建ち、屋根は二重入母屋造となっている。
 また朱雀門には、950立方mの木材、41,800枚の瓦、130立方mの石材など大量の建築物資が使われており、当時このような建造物を造り上げた天皇の権威には感服するばかりだ。
 なお復原には、約40億円の費用がかかったそうだ。
復原された朱雀門。
 朱雀門から南に伸びる道路は朱雀大路で、平城京のメインストリートだ。幅約70mもあり、当時はここから平城京の正門玄関の羅生門までずっと続いていた。
 即位式や元旦の朝賀の際には、道路脇に豪族や海外の大使、民衆などが立ち並んだとされる。門に立って朱雀大路を見ると、その広さに感動!
 昔観た映画「クレオパトラ」のワンシーンが頭に浮かんできた。

朱雀とは南を守護する中国の伝説上の鳥。
朱雀門から南に伸びる朱雀大路。幅70mもある。
 
 
 平城宮跡U 朱雀門その2
 朱雀門をはじめ平城宮内には、ボランティアの解説員の方がおられ、平城宮のことについて色々教えてもらえた。

 平城京は784年(延暦3年)に長岡京へ遷都され、10年後の794年(延暦13年)には平安京と、二度と都となることがなく、人々の記憶からも次第に薄れていき、都や宮殿は長い年月の間に土に埋もれていった。

 しかしこんな歴史上極めて重要な遺跡が、よく手付かずに残っていたと思うと、本当に凄い!
 平安京のあった京都などは、すっかり後世の街並ができてしまっており、往時の面影がかなり薄れてしまっているが、ここはほとんど当時のまま。土の中というタイムカプセルに守られ、現在まで残されてきた。発掘調査も、まだ全体の5分の1ぐらいしか行われていないそうだ。

 是非、中学生や高校生に修学旅行で立寄ってもらいたい場所だと思う。解説員の方の話では、修学旅行の生徒はあまり訪問しないらしく、もっぱら東大寺法隆寺といったメジャーなところが多いそうだ。もったいないなー!
朱雀門内部。
朱雀門内部。
 朱雀門の北側には復原中の大極殿があり、その間を走る線路の架線が、せっかくの風景を台無しにしている。可能であればトンネルを掘って地下を走らせたいところだが、地下水位が浅く、未発掘の遺跡に被害を与える恐れが高いため、無理だそうだ。

 それならいっそこの邪魔な線路を逆手にとって、仮設の臨時駅でも造ったらどうか?

 解説員の方にそう話すと、4年後の建都1300年記念に向けて、本当に臨時駅の設置が検討されているそうだ。

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