2006春 奈良・吉野山ツーリング
 2006年4月19日(水) 曇り時々晴れ
 2日目:いにしえの都・奈良 その1
 
ページ TOPへ戻る
ツーリングクラブ INDEXへ戻る

 木津休憩所U
 7時に起床。夜は少し肌寒かったが、寝袋の他に薄手の毛布も持ってきていたので、それほど感じなかった。
 そう言えば夜中にトイレへ行ったときに、屋根のあるベンチ部分で寝袋に包まった人が寝ていてビックリ。傍らに自転車があったので、てっきりチャリダーかと思っていたが、今朝明るくなってから見てみると、どうやら路上で暮らされている人だった。

朝の木津パーキング。まずは目覚ましのコーヒーを。
ちょうど奈良県と京都府の府県境にある。  目覚ましのコーヒーを飲むため、お湯を沸かしていると、一人の男性が声をかけてきた。どうやら私が日本一周でもしているのかと思われたみたいだ。
 カップ麺の朝食を済ませ、テントの撤収にかかる。今日は午後から天気が下り坂の予報なので、午前中を有効に使おう。
 昨夜は暗くて気付かなかったが、どうやらここは奈良県京都府のちょうど境にあるみたいだ。

 
 
 平城宮跡T 第一次大極殿
復元工事中の第一次大極殿。2010年完成予定。  8時10分に出発。時間もまだ早いので、昨日迷子になった時に通った世界遺産平城宮跡に寄ってみる。

 前方に大きな仮設囲いが見えてくる。これは現在復原中の第一次大極殿(だいこくでん)で、2010年(平成22年)に平城京建都1300年記念の目玉として現在工事中である。
 ここ平城宮跡は、710年(和銅3年)に元明天皇により造られた平城京の中心で、皇居霞ヶ関の官庁街が一緒になったような場所である。
 平城京の中央北端に位置し、南北約1q、東西約1.3q、甲子園球場30個分と広大なスペースだ。
 そう言えば昔、語呂合わせで覚えたっけ?
 ”なんと(710年)大きな平城京”
 ”鳴くよ(794年)ウグイス平安京”
平城宮跡を南北に横切る道。昨夜迷い込んだ道。
平城宮跡案内マップ。
 
 
 平城宮跡T 宮内省復原建物
国の特別史跡に指定されている。平城宮立体MAP。  ダボジーを停めて、少し散策してみる。
 平城京は唐の都、長安(現在の西安)を模して造られた日本最初の計画的な都とされ、碁盤の目の様に道路を整備し、最盛期には人口10〜20万人を数えたとされる。

 まず目に付いたのが、内裏東側にあり天皇家のための仕事を行っていた役所とされる宮内省跡。発掘調査から正殿や脇殿、倉庫などから6棟の建物があったことが判っていて、できる限り当時に近い工法で、建物が復原されている。

宮内省復原建物。復原された門。
塀の屋根は瓦葺。築地塀。 中央には瓦葺の正殿があったとされる。復原された倉庫群。
東西約50m、南北約90mある。 復原中の脇殿。屋根の上では職人さんが檜皮葺を行っていた。
 
 
 平城宮跡T 第二次大極殿・第二次朝堂院跡
 宮内省跡の南西に隣接しているのが、天皇が政務を執ったとされる第二次大極殿跡と儀式や宴会が行われたとされる第二次朝堂院跡である。
 ここ平城宮では発掘調査により、2つの大極殿と朝堂院があったことが判っている。当初の第一次大極殿が宮の正門である朱雀門の北、宮の中央に建てられたが、740年(天平12年)に一時都が恭仁京(くにきょう)が移され、その後745年(天平17年)に再び平城京に戻された際に、元の位置の東に位置するこの区画に建てられたとされている。

第二次大極殿跡。
大極殿を取り囲む回廊跡。 大極殿跡には柱を支えた礎石が残る。
すっかり帝(みかど)気分のマエダンゴ。(笑)
大極殿から東院庭園を望む。  中央の大極殿は、美濃國分寺跡でも見かけたせん積基壇となっており、その回りを回廊が取り囲んでいたとされる。大極殿は平城宮で最も重要な建物であり、その名は宇宙の中心である北極星(大極星)から取っている。
 天皇は即位の式や元日の朝賀などの国家的行事の際に、この建物に出てきて、臣下はその南に広がる朝庭で天皇を拝したとされる。この朝庭がその後の朝廷の語源になった。

 
 
 平城宮跡T 市庭古墳(平城天皇陵)
 第二次大極殿の北に見える小高い丘は、市庭古墳で、平城天皇陵とされる。
 この古墳、現在は円墳の様に見えるが、元々は前方後円墳で、前方部は平城宮造営時に削られてしまった。
 先祖の陵墓を削ってまで遂行された平城宮造営。やはり当時最大の国家的プロジェクトだったようだ。

 前のページ へ      次のページ へ

Counter