温泉シールラリー・東濃編 Part2

 平成18年2月5日() 晴れ時々曇り

 岩村城太鼓櫓・藩主邸跡
復元された岩村城へ至る門。  R363を北上。旧岩村町にさしかかる。
 ここは800年の歴史を誇る岩村城の城下町で、幕末まで東濃地方の中心地として栄えた。そのためか市街には、高山のような昔ながらの街並が保存されている。街並散策は駐車場がいっぱいだったのでパスし、岩村城址の看板についていく。
 やがて眼前に櫓や門が現れる。櫓は復元された太鼓櫓で、城下に時を知らせたとされる。またここは藩主邸跡で、政治の中心でもあった。跡地には岩村町歴史資料館(400円)が建っている。

城下に時を知らせたとされる太鼓櫓。 藩主邸(御殿)跡に建てられている岩村町歴史資料館(400円)。
往時の岩村城を再現した復元図。右下が今いる場所。
 太鼓櫓・藩主邸は、江戸時代の泰平の世になって城主が山頂に住む必要がなくなってから造られたもので、戦国時代までは山頂の山城が中心だった。
 駐車場にあった岩村城復元絵図を見ると、今私のいるのは一番右下の場所。山頂の本丸址などは、坂を登ってはるか上にある。すぐ横に山頂への登山口があったが、クルマなど車両の通行はできず、とても徒歩で登る体力も時間もないので、パス。

 山頂へ
 マーチで次へ向かおうとすると、山城へ向かう自動車道を示す看板が。クルマで登れるのなら、行ってみよう!
 看板に従い進んでいく。段々道が狭くなっていき、クルマ1台がやっと通れるほど。勾配もきつくなり、マーチも2速でやっと上っていく。
 それだけならまだマシだが、上に行くにつれ、路面に積雪があり、しかも凍結していた。
 やばっ!大丈夫か〜?
 慎重にマーチを進めて、なんとか山頂の駐車場に到着。
山頂の本丸へ続く道。完全に凍っていました。

 岩村城本丸跡
出丸址にある売店蘭丸。あいにく休業していた。  こんな雪道、誰もいないだろうと思っていたが、2台ほどクルマが停まっていた。物好きな人は意外といるんだな。
 岩村城本丸は海抜721m日本最高所の山城で日本三大山城と称されている。
 山頂にもかかわらず意外と大きな縄張で、本丸を囲んで東曲輪二の丸三の丸出丸などがあった。
 出丸跡の駐車場には、蘭丸という売店があったが、これは戦国時代、織田信長公の小姓だった森蘭丸が城主だった時期もあったからだろう。
野面(のづら)積の本丸石垣。 本丸埋(うずめ)門。戦時には石や木で門を埋めて敵の侵入を防いだとされる。
岩村城本丸址。立っている場所は二重櫓のあった場所だ。 本丸には天守閣はなく、11の櫓があったとされる。
昇龍の井戸。山城の場合、水の確保が最優先だった。  野面(のづら)積みの石垣を見ながら、(うずめ)跡を通って本丸へ。本丸は広場になっていて、二重櫓の石垣と昇龍の井戸があるのみ。家族連れとカップルがいた。

 信長公も天正10年、武田勝頼の首実験で信濃を訪れた帰りに、ここに訪れた。

織田信長公も天正10年、本能寺の変の80日前にここに訪れている。二の丸。すっかり木々が繁っていた。
本丸からは恵那山がくっきりと望めた。
 頂上からの眺めは素晴らしく、雪化粧した恵那山をはじめ、遠くは木曽のシンボル、御嶽山も望むことができた。
 信長公も同じ風景を見たのだろうか?

 本丸を後にし下山するが、下りは登り以上に気を遣う。凍結した急勾配の坂道は、まるでスキー場の上級者コースの様で、ローギアでブレーキを踏みながら進むが、リアが流れておっかない。あやうく谷底に落ちそうにもなり、さながら初心者が泣きながらボーゲンでゲレンデを下る心地だった。

遠くではあるが、木曽のシンボル、御嶽山も。

 R363・R19
 死ぬ思いで岩村城址から下山し、次の目的地に向けてR363を北上する。恵那市から中津川市へと抜けるこの道は、狭路区間が多い。併走する中津川を見ながら、R19に合流する。

 R19二ケタ国道のせいか、道幅も広く快走できるが、アップダウンやバンクのあるコーナーが続くので、初めて走る私は、チョッと怖い気がした。

恵那山を源流とする中津川。

 第25湯目:中津川温泉 クアリゾート湯舟沢
中津川温泉 クアリゾート湯舟沢。駐車場から見えるウォータースライダーが楽しそう。  15時30分、中津川温泉 クアリゾート湯舟沢に到着。駐車場から一際目立つのが、全長63mもある巨大なウォータースライダー。ここはクアリゾートの名の通り、温泉ゾーンのほか、プールゾーンや13種類の機能風呂(バーデ)があるバーデゾーンなどがある。
 外観はリゾートホテルのような立派な建物で、ホテル花更紗が隣接。傾斜地に建てられているせいか、入口は1階だが、浴室等は地下1階にある。

エントランスにあった写真看板。エントランス・ロビー等は1階だが、浴室は地下1階にある。 リクライニングチェアの休憩コーナー。味処湯舟。メニューは豊富だが、若干高め。
大きな大浴槽。壁面には中山道の宿場絵がある。 岩風呂露天風呂。奥に見えるのが打たせ風呂。
 内風呂はバーデゾーンが別にあるせいか、意外にも大きな浴槽のみ。でもチマチマといろんな浴槽があるより、この方がゆったりお湯を味わえるので私としては好きだ。重曹泉ならではのツルツル感のあるお湯もgood!

 一方露天風呂も打たせ湯庭園風呂で、割と素朴な雰囲気。湯加減が内風呂よりぬるく感じたのが残念だった。

 残り11湯!

重曹泉ならではのツルツル感のあるお湯。

 馬籠宿
 湯舟沢のすぐ北は、もう長野県。2キロほど先にある馬籠(まごめ)宿中山道の宿場町で、馬籠峠(801m)を挟んで、反対側の妻籠(つまご)宿とともに、木曽11宿の一つとして栄えた。南の十曲峠より先は美濃国で、落合宿へと続く。
 この馬籠宿、急な登り坂の途中にある珍しい宿場町で、その両側を民宿や土産物屋が建ち並ぶ。4時半を回っていたせいか、土産物屋は既に店じまいしており、観光客もほとんどいなかった。

馬籠宿の入口。左は美濃国。右は馬籠宿。
坂を登っていくと枡形と呼ばれる小さな空間がある。 馬籠峠へと続く石畳の街道。
石畳の坂道が続く。  ゆっくり石畳の道を散策したかったが、時間もないので、宿場の入口出口のみの見学となる。二つの間は迂回する県道7ワープ可能だ。

 街道沿いには、かつて木曽路を旅した松尾芭蕉十辺舎一九正岡子規などの句碑がある。

 ”送られつ、送りつ果は、木曽の秋”
                      (芭蕉)

馬籠宿から見た夕日。
 「木曽路はすべて山の中である。」

 このフレーズで始まる島崎藤村「夜明け前」は、受験でも良く出題されるため、読んでいない人でも知っている人も多い。(私もその内の一人だが・・・) 藤村は馬籠本陣・島崎家という名家に生まれたそうで、生家跡には藤村記念館が建てられている。機会があれば再び訪れて、じっくりと見学したい。

 Part3に続く・・・

帰る頃には、すっかり夕暮れが迫っていた。

      

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