2006春 奈良・吉野山ツーリング
 2006年4月19日(水) 曇り時々晴れ
 2日目:いにしえの都・奈良 その4
 
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 郡山城址
 大和郡山市街を走っていると、線路脇に城郭を見かける。これは郡山城で、1585年(天正13年)に大和・和泉・紀伊3ヶ国、100万石の太守として入部した秀吉の実弟、豊臣秀長公によって本格的に築城された。
 ここも桜の名所らしいので寄ってみる。残念ながら桜は既に散り始めで、場所によっては葉桜になり始めていた。
 旧城内には高校があり、その素晴らしい環境に少し羨ましく思う。

郡山城址
見事な石垣の残る本丸と内堀。 旧城内にある、その名も城内高校。
 
 
 柳澤神社
柳澤美濃守吉保を祀った柳澤神社。  本丸の一画にある柳澤神社は、5代将軍綱吉の御側用人(おそばようにん)となった柳澤吉保公を祭神として祀っている。
 吉保公は1万石の小大名から甲府城主15万石の大名となり、その子吉里公の代で大和郡山に国替えとなり、以後明治維新まで続いた。

 
 
 郡山城本丸址
 柳澤神社の横を進んでいくと、天守閣跡に至る。あいにく石垣がもろくなっているため、登ることはできなかった。
 この石垣、秀長公築城の折に石不足となり、近郷の寺院の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵などが接収され、あげくには平城京羅生門の礎石までが裏込石として使われた。
 中でも天守台裏にあるさかさ地蔵は、約90cmの地蔵菩薩像が逆さに積み込まれているので、こう呼ばれるようになった。

本丸。
天守閣跡 左手に宝珠、右手に錫杖を持っている。
 
 
 追手門(梅林門)
追手門(梅林門)  本丸から下っていくと、追手門がある。この門は柳澤吉里公の入城にあたり、梅林門と名を変えられた。
 その後明治維新を迎えて廃城となり、すべての建物は取り壊されていたが、郡山城復興を望む市民の声により、昭和58年に復原された。

 
 
 とんまさアゲイン?
 昨夜訪れたとんまさの前を再び通る。時刻は12時30分を回っている。昨日メニューを見ていて、ランチ(787円)もボリュームがあり、美味しそうだったので、寄ろうかとも思ったが、今日は別のところで食べる予定があるので、先を急ぐ。

昼間のとんまさ。
 
 
 金魚資料館T
金魚の養殖池  大和郡山の名物というと、金魚。年間約7,000万尾、全国生産量の約40%のシェアを誇り、あちこちに金魚養殖用の池が広がる。
 郡山の金魚は、柳澤吉里公が入部の際、甲斐の国から持ってきたとされ、武士の内職として飼育されていたそうだ。

 やまと錦魚園さんは養殖面積3haを誇り、園内には色鮮やかな金魚が多数生産されている。業者だけでなく、一般の方でも購入することができる。

金魚資料館のあるやまと錦魚園。 色鮮やかな金魚が成育・販売されている。
 
 
 金魚資料館U
 園内の一画には、先代の嶋田正治氏が設立した郡山金魚資料館がある。入場無料で、金魚の民族資料や錦絵、玩具などが展示されている。
 また30個のガラス水槽に日本の色んな金魚
が展示してあるコーナーは、さながら泳ぐ図鑑のようで、中でも眼が水泡のような水泡眼や尾びれが蝶のような蝶尾といった珍しい金魚は、一見の価値がある。

 郡山金魚資料館
 大和郡山市新木町107 0743-52-3418
 9:00〜17:00 月曜定休 
併設されている金魚資料館(無料)
金魚に関する資料や玩具などが展示されている。 珍しい金魚が泳ぐ図鑑の如く展示されている。
「東錦(あずまにしき)」「江戸錦」 「ジャンボ獅子」「玉サバ」
「水泡眼(すいほうがん)」「コメット」 「琉金(りゅうきん)」「蝶尾(ちょうび)」

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